[雑記] 散歩が好きなわけ

[雑記] 散歩が好きなわけ

僕は、散歩が好きだ。今となっては、大好き、と言い換えてもいいかもしれない。昔からこうだったわけではないはずなのだけど、いつの間に散歩が好きになったのだろうか。

お金がかからない


photo credit: ezra-walk via photopin (license)

いきなり現実的な話なのだけど、散歩はお金がかからない。正確には、目的地の最寄り駅までは、ホテルから電車などで移動をするので交通費が必要となるが、駅から出れば、あとは歩くだけなので、基本的には無料である。

僕が散歩をする時は、ほとんどが出張で、休日に滞在先にいないといけない場合だ。もちろん、ホテルに引きこもっていてもいいのだけど、それだと清掃も入らないし、気が滅入ってしまう。となると、日中は外出でもするか、ということになるのだが、この外出先をどこにするが難しい。

僕は、出張先の9割が東京だ。東京には遊べるところがたくさんある。その数は、北海道の比ではないと言えよう。ただ、こういったところに惜しみなく訪れてしまうと、無限にお金を消費することになってしまう。これでは、お小遣いが減っていく一方だ。

あと、ほとんどの場合が1人であるので、その感動をその場で共有することも出来ない。例えば東京スカイツリーなど、いかにもてっぺんまで登って下さいと言わんばかりの観光名所だが、ここは家族と来てみたい場所であるので、未だに最上階まで登ったことはない。ディズニーランドなんかに至っては、1人で行くのもはばかられるし、これこそ家族に怒られそうだ(想像だが)。

その点、散歩のなんとリーズナブルなこと。ある程度の目的地は決めるものの、それ以外は住宅街とか商店街なんかをぶらぶらしているだけなので、歩くだけタダ、なのである。

じゃあ何が楽しいのか?


photo credit: the secretary via photopin (license)

ここまで書いて、「一体何が楽しいんだか?」と思われる人が多いと思う。確かにその通りだと思うし、間違ってはいない。でも、僕は楽しいんだから仕方がない。じゃあ何が楽しいのか?

それはズバリ、「その土地の文化に触れること」だ。

ブログのエントリーにはないのだけど、2013年ごろに日暮里へ行ったことがある。谷中銀座商店街という場所があって、テレビかなんかでやっていたのを見てふと、行ってみたくなったのだ。その商店街も味わい深くていいのだけど、そこから日暮里の住宅街へ足を踏み入れた時、僕は、迷路に迷い込んだと思った。そう思うほど、道は狭く入り組んでいて、北海道の人間にとって見れば考えられないような環境だった。

そんな場所に、いろいろな人が住んでいるんだと思うと、何だか面白くなってきたのだ。「どんな人が住んでいるんだろうか?」「車を出すときどこを走るんだろうか」「買い物に行くときの最寄りのスーパーは?」などなど、勝手に想像するだけで楽しい。僕は前から、東京の下町だったり、少しごみごみしたような風景に心揺さぶられる時があったのだけど、それにブーストがかかった感じだった。このあたりから、主にその地区の生活圏を中心に散歩するようになったのだった。

神社や寺院、庭園なども

散歩の目的地として、神社や寺院を設定することが増えてきた。これは、歴史ある建物にはその土地の文化が深く結びつき、催しだったり道の入り組みようだったり、何かしら関連性がその周辺に見出せるからだ。

それと庭園。これは、北海道にないような立派なお庭が東京の各地に点在していることに加え、その都会と自然とのギャップが面白い。自然、とは言ったものの、これらはすべて人工的に作られたものであるから、庭園内の風景をあちこち切り取ると、それらに必ず意味を見出すことが出来るのだ(もちろん看板などを見てだけど)。その風景を見ながら、当時設計に携わった人たちを思うと、何だか不思議な気持ちになれる。例えば、「枯山水」なんかは、簡単に言えば水の流れを石や砂で表現したものなんだけど、明らかに水を使ったほうが簡単そうなところにも、一生懸命石を敷き詰めて、「ほら、ここ小川のようでしょ?」と言わんばかりの造形になっていたりする。こんなところに当時の人たちは美意識を働かしていたり、それに感銘を受けていたりしたわけだ。ね、面白いでしょ?

まとめ

つらつらと書いてみたけれど、これで散歩人口が増えて欲しいとか、僕と一緒に散歩しましょう!とか募集しているわけではない。ただ、僕が散歩を好きな理由をちゃんと文章にしたことがないなと思い、ブログに書いてみた次第。

文化に触れる、とは言ったものの、それをまとめて研究したり書籍にしたり…なんてことは出来ない。重要文化財に添えられた看板など、僕は結構ちゃんと読んでいるにもかかわらず。なぜなら、大体のことはしばらくすると忘れてしまっているからだ。その時々は「ふむふむ」と豊かな気持ちになれるのだが、メモっておくほどでもなく、かといって写真に撮るほどでもない。そんなものなのだ。

ただ、その時豊かな気持ちになった、ということが、大事なんだと思う。これが、散歩が好きな理由なのだから。